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「リベリオン」

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リベリオン
監督:カート・ウィマー
脚本:カート・ウィマー
主演:クリスチャン・ベイル
2002年公開/アメリカ/アクション

 

■あらすじ
第三次世界大戦により未来を危惧した人類は、争いを生む"感情"というものを排除することで存亡を図ろうとしていた。
"ファーザー"と呼ばれる指導者が統治する独裁国家の元、人類は感情をなくすために"プロジアム"という薬を摂取することを義務付けられていた。その規則に従わず、感情を促すような芸術品や娯楽を所持する者を"感情違反者"として犯罪者扱いし、その烙印を押された者は"クラリック"と呼ばれる特殊な訓練を受けた処刑人たちが容赦なく罰していた。
第一級クラリックである主人公プレストンもそれまで他の国民同様、ファーザーの指導に従い生きてきたが、ある出来事をきっかけに感情が芽生え始める。それが次第に彼自身の葛藤とその国の行方をも左右していくのだった。

 

■書簡

※ネタバレあり※

近未来のディストピアが舞台のSF作品。
国に仕えることを最優先事項とし、そのためなら人の命も平気で奪うような機械的な人生を過ごしてきた主人公。まさに綾波レイ状態だったが、感情違反者となってしまった相棒を処刑したことで己の中に生じた亀裂と、プロジアムの摂取を怠ったがために感情が次第に芽生え始める。そして、ある日突然、降りしきる雨の中で輝く朝日、階段手すりのステンレスの冷たい感覚、蓄音器から流れる音の旋律、スノードームに舞う雪、愛する人の残り香の美しさに気付く。生まれて初めて世界のすべてを繊細に感じ取るシーンの数々には心を打たれる。クリスチャン・ベイルの演技もとてもいい。

それまでの己の行いに疑問を抱いたプレストンは、感情違反者の烙印を押された心が豊かなレジスタンスたちとの交流などを通して、この世界の在り方を変えるべく国家の転覆を狙う。

「アクションがかっこいい」との事前情報があったが本当にめちゃくちゃかっこいい…!
処刑人であるクラリックは"ガン=カタ"と呼ばれる独自の戦闘術を駆使するが、東洋武術と銃撃を組み合わせたようなもので一人で何十人という敵を一掃するほど強力な戦闘術という設定。
これは説明するより見た方が早いと思うのでぜひご視聴あれ。

全体的によくある舞台設定だったり、ストーリーの矛盾点なども散見されるのだが、それに目をつむっても非常に引き込まれる作品。

「フィリップ・K・ディックのエレクトリック・ドリームズ」

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Amazonプライムオリジナル作品「フィリップ・K・ディックのエレクトリック・ドリームズ」は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』など数多く名作を世に生み出してきたSF作家フィリップ・K・ディックの作品を原作とした全10話の短編ドラマシリーズ。

近未来を舞台に問われるモラルや人間としてのアイデンティティの追求、知覚によりいかようにも変化する世界を描いた作品集。
テクノロジーが発達し、現代とは様変わりした未来の世界だからこそ、登場人物たちが抱える人間的な心の葛藤は切実であり、もしかしたらそう遠くない未来にその世界を生きることになるかもしれない我々に深い疑問を投げかける。

1話約50分だが、見応えある映像と引き込まれるストーリー展開が魅力的な作品。時間的にサクッと視聴できるのも嬉しい。早く次が観たくなる良作。

www.amazon.co.jp

『バットマン:アンダー・ザ・レッドフード』

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バットマン:アンダー・ザ・レッドフード』
シナリオ:ジャド・ウィニック
イラスト:ダグ・マーンキ、シェーン・デイビス、エリック・バトル、ポール・リー
発売:2010年


■あらすじ
ゴッサムシティの闇夜に突如現れた赤い仮面の男、その名は"レッドフード"。
高い戦闘スキルと身体能力を武器に、街を荒らす悪党に次々と制裁を加えていく。しかし、その思想はバットマンよりも過激で自己中心的。相手の生死をも問わないレッドフードはバットマンに対し「この街に必要なのは自分だ」と宣戦布告する。一方、バットマンはレッドフードの身のこなしに既視感を覚え、彼の暴走を止めるのと同時に調査を開始した結果、ある一つの結論に辿りつく。それは自身の過去最大の失態と癒えきらぬ心の傷をえぐる残酷な現実だった。
また、自身が牛耳るゴッサムシティを荒らされたブラックマスクもミスターフリーズやソサイエティと手を組みレッドフードを始末すべく動き出す。


■ストーリー
全体的なストーリーについては他にまとめている方もいらっしゃると思うので、ここではレッドフードとバットマンのやり取りについてザッとまとめます。

 

※以下ネタバレあり※

 

「度重なる不幸の館 漆黒の布で覆われた鏡のように弔いを連想させる空間」

ウェイン家の執事アルフレッドはウェイン邸をこう表した。それは屋敷の存在よりもその家主の人生を指しているように聞こえる。
この暗いモノローグから始まる本作は、過去に幾度となくバットファミリーを襲った悲劇の一つ、その亡霊ともいうべき存在が登場する。
バットマンの未だ癒えない心の傷をえぐる存在の名は"レッドフード"。突如ゴッサムシティに現れ次々と悪党に制裁を加えていくが、現場に残るのは死体の山。謎の男の暴走を止めるべくバットマンが動き出すが、そこには予想だにしない謎が隠されていた。

過去、バットマンが犯した最大の過ちの一つ、それは二代目ロビンであるジェイソン・トッドの死。
二人の出会いはブルースの両親が殺されたクライム・アレイ。孤児だったジェイソンがバットモービルのタイヤを盗もうとしたことがきっかけだった。これをある種の運命だと感じたブルースはジェイソンを養子として迎え新しい名前を与えた。
初代ロビンのディック(現ナイトウィング)が巣立ってから心のどこかで相棒を欲していたバットマン。アルフレッド曰く、相棒がいる時の彼は別人であり両親の死の悲しみから少しだけ開放されているようだと言う。

「"幸せ"とは申しません この戦いに幸福などあり得ません 少し楽になったとは言うべきでしょう」

バットマンにとって"ロビン"は単なる相棒ではなく、悪との戦いで理性と衝動の狭間に揺れる己を人間たらしめてくれる存在だった。それはジェイソンも変わりなかったが、彼は才能はあるものの喜怒哀楽が激しく少々問題のある少年だった。悪人退治を「ゲーム」だと言って自殺願望者のような無茶な戦い方を続けるうち、バットマンとの信頼関係も次第に揺らいでいった。

「時とともに人は変わります」
「世界は少し暗くなりました」

当時のことをアルフレッドはそう言った。
そして、悲劇が訪れる。ジェイソンは母親を助けるためジョーカーと対決、劣勢となりバールで幾度となく殴打され最後は爆弾で命を落とした。バットマンの救出は間に合わず、瓦礫の山の中で見つけたのはすでに息絶えたジェイソンの姿だった。(ジェイソンの死因については本書よりも『バットマン:デス・イン・ザ・ファミリー』に詳しく掲載されています)

冷たくなったジェイソンの身体を抱えた時の感覚を未だ忘れられないバットマン。そして、今目の前に現れたレッドフード。彼は二回目の対決時に自らそのマスクを脱ぎ正体を明かす。

自分は死んだはずのジェイソン・トッドである、と。

それまでもレッドフードの身のこなしに既視感を覚えたバットマンは独自に調査を進めていた。以前にグリーンアローやスーパーマンが生き返った事実などから、薄々その可能性について思いを巡らせていたところ本人の口から聞かされる真実。DNAも一致し彼は間違いなく"あのジェイソン・トッド"であった。

ジェイソンはバットマンに対し、己の目的は「本来のバットマンの姿になること」だと告げる。悪の街で悪と戦うには悪になるしかない、自分ならば平和をもたらせる、その正義を邪魔するものは排除する。そう宣戦布告し再び闇に消えていく。
その言葉通りゴッサムを牛耳るブラックマスクの手下を次々と殺して回るとの同時にある人物を拉致する。それは他でもない自分を殺した張本人ジョーカー。あの日の再現かのようにバールを手にしたジェイソンはジョーカーをいたぶった後、とある場所に連れて行くのだった。

一方、散々シマを荒らされたブラックマスクは怒り心頭。ミスターフリーズやソサエティを使いあの手この手でレッドフードの命を狙うがことごとく失敗。挙げ句の果てにはアジトをミサイルで爆破される始末。
追い詰められ後がなくなったブラックマスクはレッドフードと和解すべく出向くが、話がうまくまとまるはずもなく殺し合いに発展。バットマンが現場に駆けつけた時にはナイフが深く胸に刺さり息絶えたレッドフードが横たわっていた。
再び目の当たりにするジェイソンの死に動揺するバットマンだったが、それは偽物でありこの騒動は彼を誘き出すための策略だった。「イーストエンド 例の場所で待つ」というメッセージを受け取ったバットマンは最終決戦へと向かう。

"例の場所"とはバットマン誕生の地、そして二人が出会ったすべての始まりクライム・アレイだった。ここにジェイソン、バットマン、ジョーカーの三名が揃い、あの時を再現するかのようにビルには爆弾が仕掛けられていたが、今回爆破の危機に晒されているのはジョーカーだった。
これはジェイソン・トッドのジョーカーとバットマンへの復讐劇なのだ。お膳立ては整った。ジェイソンはこの場所を「すべてが終わる場所」だと言った。今や敵となった昔のパートナー、師と弟子、親と子が最後の決着をつける時がきた。

憎悪に燃える元相棒と拳を交える中、バットマンには今度こそ彼を救いたいという切実な思いがあった。自分が彼の命を救えなかったばかりにこうなってしまったのだと考えたからだ。しかし、それは間違っていた。
戦いは激しさを増し次第に劣勢となっていくジェイソンは、それまで取り繕っていた建前が少しづつ剥がれ出し、その心境を吐露し始める。

「俺を救えなかったのは仕方ない」

「けど…なぜだ?どうして…」

 

「…こいつが生きてる?」

 

ジョーカーを指してジェイソンそう言った。こんな状況下で軽口を叩き続けるジョーカーを怒りに任せて殴り、この狂人のせいで犠牲になった何千人もの人々の死を完全に無視しているとバットマンに指摘する。そして、その犠牲の中には"友人"の痛みも含まれると。


「もし俺が死ねば…ジョーカーに対して究極の罰を与えると思ってた…」

「もしこいつがあんたを撲殺したら…こいつがあんたを苦しめたら…もしあんたが殺されたとしたら…」

「…俺は草の根分けてもこの腐れ外道を見つけ出して……地獄に送ってやる」


世界最高峰の探偵の謳われるバットマンにもたどり着けない真実はある。ジェイソンが憎悪を燃やす理由、それは相棒であった自分の存在よりもバットマンが己の信念を優先したことだった。
不殺の誓いを立てているバットマンはジェイソンが殺されてもジョーカーを殺さなかった。ジェイソンにとっては到底認めることができない現実だった。

バットマンはジェイソンの誤解を正すべく、"一線を越える"ということについて説き始めた。
鋼の意思を持つバットマンにとってもそれは簡単であるという。バットマンの最大の願いはジョーカーを殺すことであり、ただ殺すのではなく時間をかけて拷問し四肢を切断しボロ人形のようにしてもがき苦しみながら断末魔の中で奴が壮絶な死を遂げるそれが何よりの望みであると。しかし、一度手を染めれば二度と戻れない。この世で最も憎悪する相手に極刑を与えるよりもその"一線"は尊いのだと。

しかし、ジェイソンはそれを聞き入れなかった。そもそも意味を理解できなかった。すでに一線を越えている彼はそこに何の疑問も抱いていない。その時点でこの二人の道は決定的に違えていたのだった。
バットマンとの心の隔たりを実感し、少しづつ力をなくしながらもジェイソンは再度ジョーカーを殺せと説得する。「こいつはあんたの相棒を殺したんだ」と。

しかし、バットマンの答えは変わらない。


「無理だ すまない 私にはできない」


謝罪と懇願が入り混じる返答に業を煮やし、最終手段としてバットマンに究極の選択を迫る。


「あんたがこいつを殺さないなら…俺が殺す」

「それが嫌ならこの俺を殺すことだ」


バットマンに銃を渡して同時に自分もジョーカーの頭に銃口を向ける。この時のジェイソンは涙を流しながら、元相棒への最後の期待を込めて縋るようにも見える。そんな彼を見てバットマンも強硬手段には出ずに説得を続ける。哀れな本心を知った今、彼を救うため心に訴えるが、もはや理性を失ったジェイソンは引き金に手をかけた。
引き金を引きかけた次の瞬間、一瞬の隙をついてバットマンが放ったバッタランがジェイソンの肩に命中する。不意打ちの痛みに体制を崩し、床に流れる血溜まりに倒れ込むジェイソン。気を失ったのか起き上がる様子はない。

終始ことの次第を傍観していたジョーカーだが、解放された途端その高笑いが辺りを包む。大量に準備された爆弾に銃口を向け「最高のエンディングだ」と言い、バットマンの生死も聞かず発砲する。
凄まじい爆音とともにビルは粉々に砕け散った。
あとに残ったのはまるで"あの時"のような瓦礫の山。
しかし、そこから再び少年の姿を見つけることはできなかった。

 

■書簡
ジョーカーとバットマンへの単なる復讐劇かと思いきやジェイソンの心の中を支配していたのは「なぜ?」という疑問だった。
かつて相棒として戦場で背を預け、生活を共にしたパートナーであり、師であり、父親であったバットマンの行為は裏切りとしか映らず憎むことしかできなかった。
両親を失った過去を持ち、その傷が癒えぬ前にロビンになってしまった彼の愛に飢えた一面は狂気的なものへと変化した。ただ愛されたかった子供はやがて愛してくれなかった親への復讐心から人殺しへと成り果てた。

もちろんバットマンがジョーカーへの復讐を考えなかったわけではない。直後はジョーカーを殺すためスーパーマンの静止も、国際問題も気にせず行動しようとした。(この辺りは『バットマン:デス・イン・ザ・ファミリー』ご参照ください)その後は喪失感から自暴自棄になった時期もあった。今でもジェイソンがロビンだった頃の衣装をバットケイブの目立つ場所に飾っているのは今でも彼を思っている証拠である。
しかし、ジェイソン自身はそのことを知る由もない。ジェイソンにはバットマンがなぜ一線を越えないのか理解できなかった。その時点でこの二人の道はもうすでに対極にいることが伺える。

ラストの"お膳立て"はジェイソンからバットマンへの究極の嫌味である。しかも、この際にソサエティによりブルードヘイブンが爆破され、ナイトウィングの身を案じたバットマンが一瞬戦い投げ出そうとするのだが、ジェイソンはそれを頑なに阻止しようしてこう言い放つ。

「またしても爆破現場に駆けつけ、瓦礫のなかから"相棒の少年"の死体を探さなきゃならない」「ブルース 残念だったな 手遅れだよ」「今回も」

めちゃくちゃ根に持っている…!
だが、ジェイソンのここまでの嫌味も分からなくもない。というのも、これ以前に発売されたコミック『バットマン:ハッシュ』にて、生き返ってから一度対面しているのだが、その時もバットマンの後悔の表情が見たくて行ったのに自分だと信じてもらえなくてボコボコにされたのだ。そこで完全にいじけて本件についての決心がついたというわけである。
しかも、その時は初代ロビンより自分が劣っているとバットマンは思っていると勝手にキレるし、三代目ロビンを「偽物」呼ばわりするしのワガママ坊やのやりたい放題。バットマンのコミュ障具合もそれに拍車をかけてうまく気持ちが通じ合わず、未だ過去を清算できずバットマンへの執着が拗らせまくっている。しかし、それが狂気だけではなく親愛も含まれると知ると憎めないキャラクターである。

ちなみにリアタイで連載していた当時二代目ロビンはあまり人気なかったらしく、脚本家は機会があれば殺そうと思っていたとのこと。
結果、二代目ロビンは読者の電話投票で接戦の末に「死亡」となった。(それが『デス・イン・ザ・ファミリー』のラスト)

ジェイソンが生き返った理由については、『インフィニティ・クライシス』というDCのクロスオーバー・イベントに関係があり、スーパーボーイ・プライムが時空の壁を打ち砕いた時の波動によって死から復活した。その後、タリア・アルグールの手引きでラザラス・ピットに入り、記憶と力を取り戻したという設定。
この記憶を取り戻す段階については本書巻末に収録されているコミック参照。解説パートにて色々補足してくれているので先述のクロスオーバーイベントについて詳しくなくても問題なく読めました。

あと、自業自得ではあるがブラックマスクがとばっちりを食いっぱなしで可哀想。アジトを爆破される際に全力疾走する姿なんかはちょっと可愛い。

ジョーカーは一応今回のメインキャラではあるが、誌面への登場率は控えめ。たが、印象的なのはジェイソンがジョーカーについての核心を指摘するシーン。

「他の人間が思ってるほどお前は狂っちゃいない。自分でも、そう思いたいだけだ」
「狂ったピエロを演じていれば、どんなイカレたことをしてもそのせいにできるからな」
「お前は狂人だ。だが、真の狂人じゃない」

そう言われたジョーカーは急に笑うことをやめてジェイソンを睨みつけるのだ。
ジェイソンは昔から才能あふれる少年であり、相手の核心を見抜く力を持っていた。
バットマンの最大の脅威とはどんな強い腕力を持つ者でも、明晰な頭脳の持ち主でもない、バットマンを深く理解し見抜く者こそ一番に恐れるべき相手なのだ。そして、レッドフードはまさにその存在だった。

最後に、こちらはアニメ版も製作されているが、日本語字幕はなし。内容はちょこちょこ端折られてたり改変されているが、大筋を知るにはいいかもしれない。ジェンセン・アクレスがレッドフード役の声優を務めている。ジェンセンのハロウィンレッドフードコスは夢あふれる…!いつか実写化してほしい。

「トム・アット・ザ・ファーム」

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「トム・アット・ザ・ファーム」
監督、脚本、主演:グザヴィエ・ドラン
公開:2013年 フランス/カナダ映画
ジャンル:サイコサスペンス


■あらすじ
恋人の葬儀のため彼の故郷にやってきたトム。
友人という建前で訪ねてきたものの、事情を知る彼の兄フランシスは高圧的な態度で「葬儀では母親が喜ぶような立派な弔辞を述べろ」と迫る。
しかし、当日言葉につまってしまったトムにフランシスは「母を喜ばせるために演技をしろ それまでは帰さない」と脅迫する。
言われたとおり母親の前で架空の彼女"サラ"の話をして農場を手伝うが、田舎ならではの閉鎖的な空間の中でその日常に日々洗脳されていくと共に、フランシスの暴力や支配は続きながらも両者の間には依存心が芽生えはじめトムの心は更に侵食されていく。


■登場人物紹介
・トム
都会の広告代理店に勤めるシティボーイ。ゲイ。恋人を亡くした深い悲しみの中、訪れた田舎町で更なる闇に落ちることとなる。

・フランシス
死んだ恋人の兄。母親と二人きりの農場暮らしに不満を募らせている。短気で暴力的な性格に町中から煙たがられており、母親の機嫌取りのためにトムを利用する。

・アガット
死んだ恋人の母親。普通の田舎のお母さん。トムのことを気に入っており、このままずっと家にいてほしいと望んでいる。死んだ息子をとても愛しており、"サラ"はなぜ葬式にこなかったのかと怒り悲しんでいる。
フランシスの暴力癖は承知しており、トムに手を上げた彼を叱責する。

・サラ
トムの同僚。架空の彼女役として田舎町までやってきたが、フランシスの態度やトムの異変を察知しすぐ立ち去ろうとする。

・ギヨーム
死んだトムの恋人。生前は実家を離れてからほぼ音沙汰なしだったため母親を寂しがらせていた。


■ストーリー詳細&書簡(ネタバレあり)
物語の冒頭で恋人の死に対しトムは「自身の一部が死んだのと同じ(中略)今残されたものが君のいない世界でできることは 君の代わりを見つけること」と独白する。
深い悲しみの中で出会うのは恋人の兄フランシス。軟禁状態で理不尽な扱いを受けながらも恋人と似た顔、似た声、同じコロンをまとう彼の存在に心の喪失感が埋まっていくのを感じるトムはなかなかその家を出る決心がつかない。
フランシスも弟の身代わりのように我が家にやってきたトムに対し、自分を置き去りにした弟への鬱憤を晴らすかのように支配的な態度を取るが、田舎町の抑圧された生活の中でトムの存在が心の拠り所となっていく。

性的な意味合いで肉体的に一線を越えることはないが、精神は依存と恐怖の狭間で揺れ動く。

二人の関係性は支配と暴力を伴う。母親にすべてを告げて町を去ると言ったトムをトウモロコシ畑の中で追い回し、馬乗りになって殴るフランシスは「ゲームを続けろ」と強要する。広い農場の中、トムを助ける者は現れない。
農場にいるのはうんざりだという愚痴を母親に聞かれてしまったことを八当たりして殴りつけたり、この農場から出られないよう車のタイヤを外したり、フランシスの支配は日々強くなり継続的に続く。

しかし、両者の間に流れる空気は決してそれだけではない。生まれた子牛につけたくだらない名前で笑い合ったり、ドラッグでハイになってダンスしたり、まるで兄弟かのような時間も同時に存在する。
また、トウモロコシ畑で負った傷の包帯を交換しながら「次に逃げる時は大豆畑にしろ」とアドバイスするフランシスに「すまない」と答えるトムは、触れられた部分から少なからず確かになにかを感じ取った表情をしている。
トムと話す時の母親の声は明るく、そのためにも「ここにいろ」といつもより穏やか口調でフランシスは告げる。

印象的なシーンとして二人が酒を飲み交わしながらふざけ合ううち、フランシスがトムの首に手をかけ徐々に力を入れていく「もっと締めろ」というトムに「止めるタイミングはお前が決めろ」と答える。
そして、フランシスを近くに感じたトムは「コロンの匂いも声も同じ あの心惑わす声…」と涙を流しながら独り言のように呟く。
その夜、隣のベッドで眠るフランシスの背に向けるトムの視線は物言いたげで視聴者の想像を掻き立てる。

そんな中トムは町の人々のフランシスに対する態度に違和感を募らせていた。葬式では誰一人として彼に声を掛けず、病院の待合室でもフランシスといると皆がこちらを横目で伺ってくる。医者にもロンシャン家とは仲が深いのか?と訝った目で質問される。トムは後に過去に起こったある事件を知り、彼らの視線の意味を理解することとなる。


そして物語の中盤から更に顕著となる二人の闇。


農場暮らしが始まり三週間が経過した。
トムは電話で同僚のサラを呼びつける。以前に母親はこのサラと息子が写っている写真を見て以来、彼女が恋人だと信じている。
トムに借金のあるサラは仕方なくやって来るが、フランシスの態度や痣だらけのトムを見てすぐに逃げ出そうと提案する。しかし、トムは広告代理店の仕事を辞めてこの農場で暮らす未来について語り出す。彼らは家族同然でここには自分が必要だと主張。フランシスのためにレーザー付きの搾乳機を購入すると笑いながら話す。サラを呼びつけたのも母親を喜ばせるためというフランシスと同じ動機で、その目は明らかに焦点が定まらず浮かべる笑みは不気味そのもの。
閉鎖的な空間により完全に洗脳状態に陥っているように見えるトムだが、それと同時に死んだ恋人は誰とでも寝るような軽薄な男であったことが発覚。しかし、そのことに薄々気付いていた様子を見せたことから、もしかしたら死んだ恋人との関係はトムからの一方的なものであったのかもしれない。そして、元から依存体質であったトムは、洗脳されたというよりもロンシャン家という新たな依存先を見つけ、自ら型にハマっていったとも見て取れる。トムにとってフランシスは死んだ恋人の代わりに心の隙間を埋める存在となってしまっていた。

また、フランシスの支配も暴力的な性格のみが原因なわけではないのかもしれない。
9年前、とあるバーの周年記念日にやってきたフランシスと弟ギヨーム。ギヨームと踊った男がフランシスに「お前の弟について微妙な話がある」と耳打ちしたところ、男の口に手を入れて口角を耳や喉まで引き裂き一生残る傷をつけたという事件が起こった。これによりフランシスは徹底して町の人々から敬遠されていたのだ。
そんな事件を起こしたのは弟がゲイである秘密をバラされ町中に知れ渡るかもしれない危機感からか、愛する弟を辱めるようなことを言おうとした男への怒りなのかは謎である。ギヨームが家を出てその後全く帰らなかったのもこの事件が関係あるのかないの。そして、母親の機嫌を損ねることに異常なまでに敏感なのは、過去の暴力沙汰から後ろめたさを背負わせている罪の意識なのか、今ここにいない父親と関係があるのか、単に母親への愛なのか、それとももしかしたら当人もトムや弟と同じ秘密を抱えているからなのか…
どちらにしてもフランシスが頑なに弟がゲイであることを隠しと通そうとする姿はなにかの恐怖に怯えているようあり、孤独な田舎暮らしの中で得たトムという存在に依存し、手放したくなかったのではないだろうか。

しかし、フランシスの過去を知ったトムの心は揺れる。すでに彼に依存している思考停止状態の脳内と、このまま彼といることによる命の危険を察した本能との葛藤。
翌日、目を覚ますといつも隣で寝ているはずのフランシスはおらず家には一人だけ。この時、昨夜葛藤したうちの本能が勝り逃げ出す覚悟を決める。彼が戻ってくる前に急いで荷物をまとめ家を飛び出す。この時に武器かのようにスコップを持っていく姿からも、もし見つかったらどうなるかという恐怖に駆られていることが伺える。

田舎の一本道をひたすらに歩くトムだったが、フランシスに見つかってしまい咄嗟に林の中に逃げ込む。追いかけるフランシス。木々の間に姿を隠し様子を伺うトムにフランシスはこう叫ぶ。

「悪かった」「謝る」「行くな」「もう傷つけない」「俺はどうなる 見捨てないでくれ」「お前が必要なんだ」「よくもこんなマネを」「俺はお前から逃げたりしない」「俺はいい人間になる」「見つけるからな」

相当興奮した様子でトムへの謝罪と許しを乞いながら怒りに絶叫する。DV加害者の常套句のようなセリフをトムは息を潜め聞いていたが、一瞬の隙をついで車を奪い逃走。走り去る車を眺めるフランシスの姿は力なく絶望が渦巻いていた。

なんとか逃げおおせた。途中でガソリンスタンドに立ち寄ったトムはある人物に遭遇する。その人物か確証はない、顔見知りではないのだから。ただ、口角から耳や喉にまで伸びる傷跡はよく見るものではない。その時、トムの頭の中には葬式で誰にも話しかけられず部屋の隅に座るフランシスの後ろ姿が浮かぶ。

そのまま車を走らせるとやっと見慣れた高層ビルの明かりや看板のネオンライトが視界に入ってきた。ついにトムはあの淀みから解放され正常な日常に戻ってこれたのだ。

もうフランシスに会うこともないだろう。

信号待ちで周りを見渡すと都会で生きる人々が目に入る。

頭をかき思いを巡らせるように瞳を閉じたトム、ハンドルに掛けた手に力を込め直す。

信号は今、青に変わった。

 


終始不穏な音楽と色使いで、まるでホラーかのような不安を煽る演出が物語により一層の影を落とす本作。
田舎町ならではの閉塞感や鬱屈、トムとフランシスの恋愛とは違うカテゴリーでの共依存関係。キャラクターの明示されない思惑も多く、考えさせられるかつ煮え切らない微熱を残す名作。
監督、脚本、主演のグザヴィエ・ドランの溢れ出る才能が他の作品とはまた違った形で表現されている。
ラスト後、個人的にはトムは迷いながらもフランシスの元に戻ったのではないかと感じる。もし戻ったらトムは今後こそ殺されるかもしれない。きっとトムもそのことは分かっているだろう。しかし、トムの心はもうとっくに一線を越えている。その代償はきっと大きいだろう。

 

 

「処刑人」

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「処刑人」
監督:トロイ・ダフィー
脚本:トロイ・ダフィー
主演:ショーン・パトリック・フラナリー、ノーマン・リーダス
ジャンル:アクション、クライム
2000年公開/アメリカ映画/日本ではPG-12指定

■あらすじ
二卵性双生児のマーフィー(N・リーダス)とコナー(S・P・フラナリー)のマクマナス兄弟は敬虔なカトリック教徒。
聖パトリックの祝日に仲間といつもの店で酒を飲んでいたところ、店の立ち退きを要求するロシアン・マフィアと言い合いの末に喧嘩に発展する。撃退したものの後日報復にやってきて彼らを勢い余って殺してしまう。殺されそうになったための正当防衛と自分たちに言い聞かせ警察に自首することに。
警察では事情聴取を受けたものの、マフィアを殺した二人を「聖人」として扱うマスコミや市民の手前正当防衛が認められる。押しかけるマスコミの目を避けるため、一晩だけ独房に泊まったマクマナス兄弟はその夜神からの啓示を受ける。

『人の血を流した者は 男により報いを受ける その男とは神に許された者なり』
悪なるものを滅ぼし、
善なるものを栄えさせよ

その言葉が神からのものであると確信した兄弟は、街にはびこる悪人たちに次々と制裁を加えていく。

■ストーリー詳細と書簡(ネタバレあり)
カルト的人気を誇るアンチヒーロー映画で若き日のノーマン・リーダスも出演する本作。
魅力はなんと言ってもマクマナス兄弟のビジュアルと"聖人"としての仕事ぶり!そして、顔のいい二人がいつもお揃いで何かやってる様は見ていて眼福…!

マクマナス兄弟は雑居ビルのワンルームに同居し、いつもお揃いの服にお揃いのロザリオを身につけて、全身に同じタトゥーを入れている。いつも一緒に行動する仲良すぎる兄弟でもはや一心同体。
朝は教会に通い神に祈りを捧げ、精肉工場で一緒に働きながら暮らしている。多言語話者でその理由について「母親が教育熱心でね」と冗談っぽくマーフィーは言うが彼らの過去は謎。(過去についてはストーリーのラストで少し明かされます)
周囲の人間は2人を「天使」だと形容し、善良な一般市民だった彼らだからこそ手を下すのは悪人のみ。彼らが"聖人"として職務を果たす時に持ち合わせているのは殺意よりも使命感であり、罰を下す際の決まり文句はマクマナス家に代々伝わる祈りの言葉だと言う。

主のために守らん
主の御力を得て
主の命を実行せん
川は主の下に流れ
魂はひとつにならん
父と子と聖霊の…
み名において

 

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このセリフを捧げてから相手を殺すシーンが、この映画で一番印象的であり本作の代名詞。兄弟が二人で悪人の頭を後頭部から打ち抜くので弾道が十字にクロスするという演出もセリフと相まってかっこいい。
そして、罰を下し終えたあとはどんな悪人だろうと彼らなりのやり方で丁重に弔いを行なう。死者の目にペニーを乗せて腕は胸の上で十字にクロスさせるので。これはギリシャ神話では死者は生前の罪をあがなうためシャロン(三途の川の番人)に渡し賃を払うためである。

殺したロシアン・マフィア経由で最初の罪人に当たりをつけ、初仕事は見事大成功。偶然のその場にやってきた友人ロッコを仲間に加えて三人で次の仕事を探す。マフィアの使いっ走りをしていたロッコの情報網から仕事をこなしていたが、"聖人"の話はイタリアン・マフィアのボスであるパパ・ジョーの耳にも入り、三人を始末するため伝説の殺し屋イル・ドゥーチェが雇われる。
次のターゲットにパパ・ジョーを選んだ三人はアジトに乗り込むも返り討ちにされてしまいロッコは射殺される。パパ・ジョーは兄弟の始末を部下に任せてその場を去ってしまう。怒りに狂った兄弟は部下のマフィアを殺し、ロッコを弔っていたところにイル・ドゥーチェがやってくる。一触即発かと思われたが、兄弟の祈りの言葉に聞き覚えのあったイル・ドゥーチェは二人が自身の息子であることを悟り、その手で優しく二人の顔に触れるのであった。
後日、パパ・ジョーの裁判が行われたが裏で糸を引き無罪を確信している当人は余裕の様子。しかし、その場に突如マクマナス兄弟とイル・ドゥーチェ親子が乱入。彼らは「この場を自分たちの存在の明かす場に選んだ」として、法廷にいる人間に向かってこう言う。

「よく聞け」
「貧乏も飢えも許す」
「怠慢も堕落も許す」
「だが不正は許さん」
「悪事は見過ごさない」
「地獄の果てまで追いつめる」
「悪事を働く者を殺し 血の雨を降らせてやる」
「殺すな 姦淫するな 盗むな」
「これが神を信じる者の掟だ」
「人としても基本的な振る舞いだ」
「守らぬ者は死で報いよ」
「罪悪にも程度がある」
「それが軽い罪悪なら咎めはしない」
「だが 度を越せば俺たちの出番だ」
「お前たちも罪を犯せば必ず俺たちが現れる」
「それは報いを受ける時だ」
「好きな神の下へ送ってやる」

 

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そして、パパ・ジョーに神の裁きを下した三人は姿を消すが、人々は彼らを"聖人たち"と呼び街には大きな波紋が残ることとなった。

また、作中では兄弟を追うFBIのスメッカー捜査官(ウィレム・デフォー)がかなり個性的。
優れた洞察力でマフィア殺しの犯人に迫っていくが、捜査が進むほどに法の番人でありながら犯人たちの行いに正しさを見出していく。人に対して上から目線でよく怒り感情の起伏が激しいキャラだが、味のあって憎めないキャラ。最終的には兄弟と手を組んで法廷襲撃の手引きもすることに。パパ・ジョーに捕まった三人の援護で情婦を装いアジトに潜入するシーンがなかなかに強烈なので乞うご期待。

「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!」

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ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!
監督:エドガー・ライト
主演:サイモン・ペッグニック・フロスト
公開:2007年 イギリス/フランス映画
ジャンル:刑事モノ、サスペンス、コメディ、アクション

■Story
超エリート警官ニコラス・エンジェルス(サイモン・ペッグ)は、カンタベリー大学を2つの科で首席卒業した秀才でスポーツ万能、職務において数々の名誉ある賞を受賞し、首都警察署内でも検挙率は断トツのNo.1。真面目な性格で警官として火の打ちどころはないものの、そのあまりの活躍ぶりに上層部から疎まれ田舎町へ左遷されてしまう。
左遷先のサンフォードは"ビレッジ・オブ・ザ・イヤー"に選ばれるほどに平和で事件とは無縁な町。同僚たちは「この町で事件など起こるわけがない」と昼間からビールを飲む始末。
しかし、明らかに事件性のある出来事がすべて"事故"として処理されてしまうこの町の異様な空気に気付いたニコラスは、同僚のダニー・バターマン(ニック・フロスト)を相棒にこの"模範の町"の正体に迫っていく。

■Detail ※ネタバレあり※
エドガー・ライトサイモン・ペッグニック・フロストの3人組が製作に携わる「スリー・フレーバー・コルネット3部作」の中でナンバーワンに大好きな作品。
今回もエドガー・ライトの神カット&テンポな映像と絶妙な脚本(ペッグとの共同脚本)、ペッグ&ニックの息の合った演技(イチャイチャ)は抜群!今回のペッグはダメ男役ではなく超絶デキる男というものも新しい。
この映画の魅力はライトとペッグの「俺の思うカッコイイシーンを全部詰め込んでやった」感。映画好きの方ならこの意味が分かると思うのでとくにラスト30分は必見。

【キャラクター】
ペッグ演じるニコラスは超敏腕だが真面目すぎる性格が災いして周囲から浮いてしまう不器用な役所。別れた恋人からも「仕事より大切な人を見つけなきゃだめ!」とお叱りを受ける。日々の生活も規則正しくパブに行っても酔いたくないからと頼むのはクランベリージュース。日本のピース・リリーという植物を育てており水やりが日課
サンフォードの同僚たちからも浮いてしまう中、ダニーだけはニコラスのストイックな姿勢に憧れて行動を共にしていく。

ニック演じるダニーはサンフォード警察署長の息子で警官。父親ややる気のない同僚たちと日々仕事とも言えないような仕事に従事している。細かいことは気にしないのほほんとした性格で、ニコラスがサンフォードに来て一番最初に逮捕したのが彼であった(罪状は飲酒運転でニコラスを轢き殺しそうになる)。
超映画オタクで特に刑事モノには詳しい様子。内心は立派な警官になりたいと夢見ているため、ニコラスに対して「撃たれたことある?」「カーチェイスしたことある?」「二丁拳銃でジャンプしながら撃ったことある?」などと質問攻めで興味津々。サンフォードの違和感に気付いたニコラスとともに謎の解明に乗り出す。
自身も解き方が分からないほど凝り固まったニコラスの石頭に、持ち前の明るさで少しづつ変化を与えてくれる良き相棒ポジション。

物語はこの二人のバディものであり、アクションであり、サスペンスとして進行していく。
一緒にパブに行って呑みまくったり朝まで映画を観たりと二人のイチャイチャシーンは満載。人付き合いが苦手なニコラスの内面にダニーという明るい光が差し込んでいく感じが、日常的なシーンの端々で垣間見えて永遠と観ていたくなる。
お互いが警官になった経緯をパブで呑みながら打ち明け合うシーンでは、「警官だった叔父に憧れていた。過去に一度だけマペットを夢見たが、それ以外で警官になりなくなかった記憶はない。」と生真面目なニコラスに対して、

ダニー「残念」
ニコラス「なぜ?」
ダニー「マペットも似合ってた」

そう言って二人で笑い合うシーンは絆が深まりが見てとれてとてもいい。
ダニーは警官になった理由を母親をすでに亡くしているため、父親のそばにいてあげたいからと語り、家族思いな心優しい一面を見せる。

【舞台:サンフォード】
本作の舞台であるサンフォードは田舎ならではの親密さと新参者に対する冷遇を極端に著した町。一見するとのどかだが、町の主要人物からなる"近隣監視同盟"という組織が存在し、町の治安を乱す者を目の敵にして徹底的に排除しようとしている。彼らが口にするのは常に「公共の利益のために」。

【はじまり】
転勤してきて以来怠惰な業務が続いていたニコラスだったが、ある"事故"が発生する。道路の道端で生首と大破した車が発見されたのだ。標識に衝突した結果の事故だろうと正式な捜査は行われなかったが、ニコラスは明らかな事件性を感じていた。結局うやむやになってしまったその後も、次々と発生する"事故"の数々になんの疑いも持たない同僚たちや町の住人に不審を覚えたニコラス。事件性を訴えるが「よそ者が空気を乱すな」と厄介者扱いされてしまう。

【真相】
独自に捜査を開始する中で背後に複数の人物が存在すること、犠牲者は共通して町の再開発に関与していたことが判明する。そして、突如ニコラスを襲った襲撃犯がスーパーの従業員であったことから、薄々怪しんでいたスーパーの経営者が加盟している近隣監視同盟が黒幕であることを突き止める。
同盟の会議に乗り込んだところ彼らはあっさり殺人を認める。そして、驚くことにその中には署長とダニーの姿もあった。彼らが口にした犯行の理由は町の再開発への反対などではなく「公共の利益のため町の空気を汚す者は排除する」という単純なものだった。
この20年間そうして邪魔者を殺して守ってきた"ビレッジ・オブ・ザ・イヤー"は、警部補の妻、ダニーの母親がかつて死守してきた名誉であり、彼女が自殺した理由はよそ者が町を荒らしその誇りを守れなかったことにあった。そのため警部補は妻の意思を引き継ぎ処刑人となったと語る。
四面楚歌にも関わらず全員を逮捕しようとするニコラスだが数では敵わず追い詰められていく。

【ラスト】
ダニー起点で難を逃れ町から出ようと決意したニコラスだが、立ち寄ったサービスエリアでダニーとともに観た「バッドボーイズ2バッド」「ハートブルー」のDVDを目にする。正義の心に再び火がつき、町に戻るとありったけの武器を装備して黒幕との戦いに向かう。(この時大量の武器、サングラス、白い馬に乗って登場するのがベタすぎてカッコイイ)
ニコラスの帰還に驚いた近隣監視同盟と町中で開始される銃撃戦。"ビレッジ・オブ・ザ・イヤー"の審査員たちを横目に町に銃弾が飛び交町がめちゃくちゃになっていく様は痛快。途中、ニコラスがダニーに銃を渡すカットがめちゃくちゃかっこいいので何度もリピートしてしまう。
その後もダニーが夢見たようなドンパチ(銃撃戦、二丁拳銃でジャンプしながら撃ったり、ゴミ箱へダイブしたり、カーチェイスだったり)を繰り広げ、徐々に敵を追い詰めていく。これまで敵対していた同僚たちも実は署長に操られ思考停止になっていただけで、洗脳が解けて皆が仲間になるシーンは胸熱。これもベタだけど好き。
最後の最後まで抗った署長はダニーを人質に取ってまで逃れようとするが、逆にダニーに拳銃を奪われてしまい走って逃走。後ろ姿を眺めながら奪った拳銃で撃つか否か葛藤するシーンは「ハートブルー」のオマージュで締めた。

ロンドンの元上司からの誘いを断りサンフォードに残ったニコラスは、警察署長として相棒ダニーと"常に何か起こっている"平和な町でデカとして暮らしていくのであった。

サスペンス仕立てなのにコメディチックという絶妙なストーリー展開は安定。同僚の洗脳がめちゃくちゃ簡単に解けたり、ダニーって近隣監視同盟に入ってたのに殺人を知らなかったってある?ダニーの母親の死の理由などちょっと無理がない?などのツッコミどころもテンポの良さでどんどん進むので気にならないし逆にコメディ要素に感じる。
また、近隣監視同盟が住人を殺した理由が「演技が下手」「笑い方が嫌い」などかなり自己中心的なものなのが恐ろしい。彼らの言う公共の利益=自分たちの利益という図式が閉鎖的な街を支配する人間の怖さである。

アクションは主にラストだが銃撃戦あり、カーチェイスあり、爆破あり、格闘ありとしっかりと見せてくれる。コルネット3部作の中では一番要素てんこ盛りなのではないか。見応えあり。また、ライトの神的なカットセンスとテンポの良さは健在。ペッグとニックのバディも二人の仲の良さだからこそ出せる空気感、ずっとそれを見ていたくなる感には中毒になる。

【小ネタ】
ニコラスのロンドン警察署上司役でマーティン・フリーマンが登場する。シャーロックに出演する前の若き日のマーティン。ペッグと仲良しらしく「ワールズ・エンド」「ショーン・オブ・ザ・デッド」などにも出演している。
「スリー・フレーバー・コルネット3部作」についてはwikiに詳細ありますのでぜひ。

「LUCY」

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「LUCY」
監督:リュック・ベッソン
主演:スカーレット・ヨハンソン
公開:2014年 フランス映画
ジャンル:SFアクション

■あらすじ
「ヒトの脳はわずか10%しか使われてはいない」
人間がこの脳をそれ以上に使うことができたら、もし100%にアクセスすることができたらどうなるのか?
運び屋の彼氏に騙されマフィアの取引に巻き込まれてしまったルーシー(スカーレット・ヨハンソン)。無理やり運び屋として仕事をさせられている途中、危険な新種の麻薬を大量に摂取してしまう。これにより脳のリミッターが外れたルーシーは10%から解放された未知の世界を体感することとなる。

■書簡‪(ネタバレあり)
新種の麻薬によりヒトの脳の通常稼働領域とされている10%以上にアクセス可能となったルーシーが体験する未知の世界。脳の10パーセント神話を特殊能力やSF要素で描いた作品。

ラストで極限(100%)まで活性化したルーシーは姿を消す。どこかへ行ったわけではなく存在自体がなくなった。「I AM EVERYWHERE(私は至るところにいる)」という言葉を残して。

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作中に登場する"人類最初の女"もルーシーという名前であることや無に還ったと思わしきラストの展開からも、謎多き人類の神秘と可能性について思いを馳せるロマンチックさがある。哲学的な意味合いもあり、映像としてはナショジオ的なノリでも楽しめる。

ツリー・オブ・ライフ」のように好きな人は好き!と評価は両極端に分かれそう。

遊び好きな普通の学生から新人類へと変化するスカヨハの演技は見事で◎
 

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